【チャレンジする】偏差値43の高校に通ってた私がアメリカ大学留学した話

夢を叶えるには、歳を取りすぎている、またはまだ若すぎる、と考えていますか?

実際には、夢を叶えるのには、年齢は問題にはなりません。

どんな夢でもやりたいことでも、叶えたいことでも何でも、思ったが吉日と言われるように、思いついたその時、一歩踏み出せるかどうかが問題なのです。

この記事を読むとわかること:

  • 『可能性は自分で決める』という言葉の意味がわかる
  • フリーターでも学歴なくても偏差値低くても、留学できる

【チャレンジする】偏差値43の高校に通ってた私はどんな20歳だったのか?

私は、20歳のころ、こんな感じでした。

  • 偏差値低い
  • 学歴ない・大学浪人
  • フリーター
  • 将来したいこともない

本当にないないだらけでした。

でも、学歴も欲しかったし、やりたいことをやりたいと思っていました。

当時は全く気付いていませんでしたが、どこかで、自分で自分にブレーキを踏んでいました。

全然、すごい経歴の持ち主とか、裕福な家庭で育ったとか、小さい頃から塾に通っていたとか、親が教育熱心だったとか、そういう感じではなかったです。

偏差値低い

留学したいけど、自分は賢くない。

偏差値も低いし、英語も分からない。

そう思っているのは、あなただけではないです。

いいえ、実際には、あなただけではなかった、です。

私は、偏差値43の高校に通っていました。今よりもう20年以上前の話ですが、本当のことです。

その学校は、私の母の母校で、その当時(私が通っていたころより25-30年前)は進学校と知られていました。

しかし、私が通い始めた頃は、「バカでも入れる学校。制服だけが可愛い」と言われていました。

私は、その頃、高校受験で勉強がしたくなくて、受験勉強をしなくても入れる学校として、その偏差値43の高校を選びました。

結果、その偏差値43の高校では、少し勉強をするだけで、高得点が取れました。特に特別なことはしなかったですが、理数系の特進クラスに入りました。

学歴ない

偏差値43の高校を卒業してから、私は英語を勉強したかったし、大学にも行きたかったんだけど、結局私の偏差値で入れる大学はありませんでした。

そして、一年浪人生活を送りました。

街中にある予備校に通い、仲の良い友達もでき、ゲームセンターやカラオケに行って遊んでいました。

もちろん、勉強もある程度していましたが、特に頑張って勉強していたわけではないので、偏差値はほとんど上がらず、翌年も希望していた大学には入れませんでした。

というより、自分で入試に行かなかったのです。

どうせ、受からないという気持ちでいたので、入試を受ける勇気がなかったのです。

フリーター

私は、浪人生活を1年送った後も、特に何かに対してやる気を出せず、実家で毎日ゲームしたり、漫画読んだりして過ごしていました。

いわゆる、フリーター生活を送りました。

しかも、バイトに出るわけでもなく、ただ単に家でゲームしたりダラダラ過ごすだけでした。

浪人生活を一年続け、他の友人たちは、みんな大学に進学しました。

彼氏(彼女)もでき、サークルに入って、楽しそうに大学生活を送っていました。

一方、私は、大学にも入れず、一人ぼっち。孤独でした。

将来したいこともない

フリーターだった頃、私は「将来したいこともない」と思っていました。

いいえ、思い込もうとしていました。

実際は、やりたいことがあったのに、「自分には無理だ、できない」と決めつけていたのです。

その私がやりたかったことは、「英語を勉強したい、心理学を勉強したい」ということでした。

転機

ある日、新聞を見ていると「インターンシッププログラム」という文字が目に入りました。

対象年齢が20歳から、と書いてありました。

さっそく応募してみました。

応募したら、少し経ってから、郵送で試験のお知らせがありました。

大きな会議室のような部屋に、あきらかに自分より頭良さそうな人たち、きちんとした社会人のような人たちが、たくさん並んでいて、その中で、英語のテストを受けました。

そこまで難しい内容ではなかったですが、一応、受験勉強をしていた私にとっては、テストを受けることに慣れていたので、その慣れもあってか、普段通りにテストに望めました。

そして、合格通知が送られてきて、アメリカへの短期の海外留学が決まりました。

「インターンシッププログラム」でアメリカ大学留学をめざす

この「インターンシッププログラム」は、アメリカ大学留学の前に、9ヶ月間行った留学制度でした。

「インターンシッププログラム」では、よい意味でもわるい意味でも、いろんなことを学びました。ただ、日本にいただけでは学べなかったことがたくさんありました。

そして、「やはり学歴をつけないとやりたいこともできないし、勉強したいこともできない。スタート地点にも立てない」と考えるようになりました。

帰国後、バイトとTOEFLの勉強に明け暮れる

アメリカから「インターンシッププログラム」で帰国した私は、近所の本屋さんでバイトをしながら、TOEFLの勉強を始めました。

最初は、「自分にできるはずない」と思っていました。

だけど、浪人時代、一緒に予備校に通ってた友だちはみんな大学生活を楽しそうに送っていて、全く相手にしてくれなかったし、孤独でした。

友だちを見返したい、という気持ちも強くありました。

バイトとTOEFLの勉強は、約2年間続きました。

 

TOEFLの勉強は、独学です。参考書を購入し、テストを受けまくりました。

TOEFLのテストは当時1回で15000円ほどでしたが、計10回は受けました。

行きたかった短大の合格点が475辺り(ペーパーベースド)だったので、485取れた時点で、TOEFLの勉強をやめ、バイトを増やしました。485を取るまでに、1年半はかかりました。

バイトは、近所の本屋さんの店員とデパートの野菜コーナーの裏方をやっていました。朝7時-昼1時、夕方5時-9時で、計11時間働く毎日が週5で続き、そんな生活を半年ほど続けました。

バイトをしながら、アメリカ短大への出願準備をすすめ、出願しました。

当時は留学サポートサービスなどもないので、情報収集も出願もすべて自分でやりました。ネットもまだあまり普及していない時期だったので、郵送で出願しました。

アメリカ短大に留学後、4年制大学へ編入し、心理学専攻、犯罪学副専攻で卒業しました。

【チャレンジする】偏差値43の高校に通ってた私がアメリカ大学留学した話:まとめ

偏差値43、学歴ない、フリーター、将来したいこともない、お金もない。

ゼロからのスタートでした。

もっと言うと、中学校、高校での部活動もさっぱりでした。すぐにやめちゃって、長続きしませんでした。

そんな20歳だった私がアメリカ大学留学しました。

きっとあなたにもできますよ。

一歩踏みだす勇気さえあれば。